2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その1

| November 17, 2023

こんにちは, iduknです.

お待たせしました.

長岡技術科学大学 情報・経営システム工学分野, 大阪大学基礎工学部 電子物理科学科 物性物理科学コース, 東京大学工学部 物理工学科の自分の編入合格体験記本編第一弾です.

今回は高専4年前期までの自分の体験談を書いていきます.

多くの編入体験記は「この人すげー…」って辟易してしまうのでできるだけかっこつけずに内情を綴ろうと思います.

シリーズの一覧です.

2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その0
2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その2
2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その3

3年後期

前回の記事のように, 俗に言う"高校生の青春"のようなものはコロナによってぶっ壊され, そろそろ現実的に"生きる"ことを考えなければ…と思っていました. どのようなキャリアを形成するか…なんて考える素振りを見せながらだらだらYouTubeを見ていました.

リベ大との出会い

YouTube視聴はスマホを持ち始めた高専1年の頃からの自分の癖でした.
その頃は多分フォーエイト48さんにハマってた頃だと思います.

そんなときに出会ったのがリベラルアーツ大学の動画でした.

殴られました.

その動画以前は“いい大学に行って, いい会社に行き, じじいまで働く”ことが“正しいこと”だし, “安全な道”だと考えていました.
しかし, 自分の仕事やお金に関するそれまでの価値観が一気に変わりました.
もっと学びたいと思い, のめり込むようにリベ大を見ました.
そうして, “できる限り他人の指示で働かない≒自分のやりたいことをやる”ことを考えるときの念頭に置くようになりました.

とりあえず, 将来的にその目標を達成するには根本的に“お金”に対する知識は必要だと感じ, リベ大で勧められていたFP3級日商簿記3級を, 忙しくなるであろう4年に上がる前に取得しようと考えました.

また, “やりたいことをやる"という観点に立って, 3年前期に受けて1次試験だけ受かっていた数検準1級も受けることにしました.

数検は10月末, 簿記は11月半ばにあったので, それに向けて勉強を始めました.

親・友・覚・醒

それと同じ頃, 特数(特進数学)の友だち(友人Y)が勉強に目覚めました.
その時期の友人Yは起きている時間はずっと編入数学徹底研究をひたすら回してました.
やがて, 友人Yが自分の理解が及ばない問題も解けるようになっていきました.
その状況に自分も感化され, 学校外の時間は数検や簿記を, そして授業中の内職として徹底研究をやるようになりました.

その当時, 友人Yと自分は寮で暮らしていました.
自分は"自分を変えよう"と思い, 勉強時間確保も兼ねて朝型な生活を心がけていきました.
が, このように学習しようとする上で寮の"時間的拘束"がネックになっていき, 退寮を決意しました.

親を説得している最中, その考えを友人Yに話すと, なぜか友人Yが先に退寮しました.
そして友人Yは, 高専近くのシェアハウスのように同級生が数人住んでいる物件に住むようになりました.
自分も以後しばらく, 友人Y宅を放課後の勉強の拠点にし, 勉強をしていました.

そんな友人Yが11月末の「TOEICをシェアハウスの同級生と一緒に受験する」と言い始めました.
自分は2年のときにIPを一回受けて460点を取っていましたが, 旧帝大(当時友人と目指していた)のような大学を受験するなら点数不足は明白でした.

そして, 「一緒に受けね?」と誘われました.
数検や簿記があったので, 初めは渋りました.
が, 友人たちの勉強する姿を見て, 「自分も混ざりたい」と考え, 受験することを決めました.

当時人生で一番勉強しました.
朝5時に起き, 1.5~2時間数検や簿記の勉強, 英単語の確認.
学校に行っては徹底研究.
放課後は友人宅で英文法や数検.
夜帰って英単語やって寝る.
数検, 簿記が終わる毎に残った検定の勉強濃度を濃くしていく.
そんな生活が2,3ヶ月ほど続きました.
TOEIC一本になってからは公式問題集も回しました.
TOEICの勉強法についてはまた後日反響があれば詳しく書こうと思います.
(コメントあれば速攻書きます.)

そうして, 無事数検準一級合格, 日商簿記3級満点合格, TOEIC790点を取得できました.
TOEICは初め, こんなスケジュールだったこともあり700点を目標にしていましたが, 目標以上に取ることが出来たのでこれで見切りをつけることにしました.
そうして, このスコアを阪大や東大に提出することになります.
自分のスコアは他の旧帝大の編入体験談よりも低いと思いますが, 一応志望学科によってはこれでも受かったよという参考になるかなと思います.

スピードミュージックメイク

検定3連チャンが終わり, 数日後急に友人Iに「曲を作って欲しい」と依頼されました.
自分は検定からの開放感もあり二つ返事で快諾しましたが, まあ地獄でした.
編曲(曲の裏で鳴ってるドラムだったりシンセだったりの構成)からミキシング(各楽器の音量バランス調整), マスタリング(最終的な聞き心地の調整)を誕生日にアップしたいから2週間でやってほしいと言われました(これらの作業をやるなら今の自分でも1ヶ月は欲しいです).
音楽は相変わらず唯一の趣味で曲は数曲作っていました.
とはいえ, 人に聞かせられるレベルのものをそんな短い期間で作れたことはありませんでした.
が, 受けた手前断るのもな〜と思うのと, 音楽制作がかろうじて楽しかったこともあり, 夜な夜な制作しました(朝型生活崩壊).

そうして作られた曲がこちらです.

この経験が「自分は音楽が好きだ」ということの再確認になり, そして 彼との繋がりが後に受験を乗り越える力に繋がりました.

物理学との出会い

そうして, 年内の授業が終わり, 冬休みはFP勉強と親が使わなくなった古いPCのファイルサーバー化に当てました(?).
1月, FPの試験を合格した自分は, 本格的に編入対策しようと数学に加えて, 力学を勉強し始めました.
物理の授業のテストはずっと満点に近い点数をとっていたので, 「行けるだろ」と思ったことと安く済むならいいやと思い, オールインワン(力学, 熱力学, 波動)の基礎物理学演習Iを解き始めました.

物理が嫌いになりかけました.

全然分からない.

自信を失いました.
根本的に理解出来てないことが分かった自分は特数の先輩(3つ上の北大進学者)が勧めていた演習 力学で勉強するようにしました.

それでも分からない.

ゆっくり地道に進めましたが, ゆっくりすぎて嫌になって進める頻度が少なくなり, さらにゆっくりになるという悪循環に陥りました.

また, 退寮の手続きや, 実家の引っ越しが重なり, かなりバタバタしていました.

編入鯖への招待

時は少し戻って1月頃, スタディプラス経由で他高専同級生も集まる編入向けのDiscordサーバー(編入鯖)に招待されました.
初めは, それなりに参加していましたが, やがて人数が増え, ものすごくやる気のある人たちが多くなったり, 内輪ノリが多くなってきてからは辟易し, 顔を出す機会が僅かになりました.

4年前期

アパートに住むようになり, 環境が変わったことでテンションが高く, ちゃんと勉強をするようになりました.
朝起きて, 英語(英語耳DUO3.0).
内職に物理(エッセンス).
放課後は複素(基礎解析学という本校の教科書).
みたいな感じでGWあたりまでは回していたような気がします.
GWは確率(PASSLABOYouTube)をマスターしようと必死になっていました.
しかし, 複素, 確率は結局あまり身につかず, 物理もエッセンスから演習力学に戻ってみましたが, 「やはり分からん」と手詰まりでした.

ファインマン物理学との出会い

そうして, 自分の勉強計画に迷いが生じ, 他の人の編入体験談を参考にしようと調べていると, 水無月さんのこちらの記事を拝見しました.
あまりに勧められていたので, 図書館で探し, 半世紀ほど前に発行されたらしいファインマン物理学 力学を読み始めました.
言い回し(時代の影響)や単位系(国, 専門科目故の影響)が普段使わないものばかりだったことや, 内容も深かったため, 全ては理解できませんでした.
しかし, 物理と他分野との繋がりの部分だったり, エネルギーのお気持ちの説明だったりが興味をそそるように施されており, 漠然とよく出来た学問だなと感動しました.

また, その頃シンウルトラマンが劇場で公開されました.
プランクブレーンなど物理の要素が散りばめられており, これも物理おもしろそうと思うきっかけになりました.

ファインマン物理学は1ヶ月ほどで読みきり, 映画を見たということもあり, 物理への興味心は大きくなっており, 「ゆっくりでも演習力学を理解していこう」という気概が生まれ, よっぽど分からない箇所は先生に尋ねながらゆっくり進めていきました.

国際交流

3年生学年末の時点で, 進学先が明確に決まっていなかったため, とりあえず京大も受験できるようにしようと考えていました.
京大の編入にはTOEFLが必須で, TOEFLにはTOEICにはないスピーキング, ライティングの科目もありました.

それらの対策になると考え, 学校で募集されていた夏休み1ヶ月間のタイへの交換留学プロジェクトに応募して, 当選しました.
また, 交換留学ということで, 釧路高専側もタイ, そしてフィンランドからの留学生を6~8月に計10名弱受け入れていました.
そんな訳で, 留学前のリハーサルも兼ねて, 定期的に彼らとの交流の機会が学校側で用意されていました.

そうして, 最初の交流として阿寒湖アイヌコタンで観光をしました.

まあ, 何喋っているか分からない

TOEICでそれなりの高得点をとっていると自負していたので, それなりに会話できるやろとか思っていましたが, そもそも何を言っているか分からない.

そして, コミュ症すぎる

初対面の人と何喋ればいいんや…となり, まじで沈黙が続きました.

なんとかひねり出した質問が


idu「趣味はなんですか?」

留「アニメ鑑賞をするよ」(だったと思う)

(お, ワンチャン行けるかも)

idu「何見るんですか?」

留「ゆるキャン. 今度映画やるらしいんだ」(だったと思う)


…ナニソレ全然分からん.

共通の話題がないと喋れなかった(というか英語でのコミュニケーションがギリギリ)ため, 本当に自分の周りはお通夜でした.

この経験で英語全般の自信を失くしました.
その後, とりあえずボキャブラリを増やそうとDUOを回しますが, 気分が乗らず, 身が入りませんでした.


その後, タイでの自己紹介を想定して, 10分の自己紹介プレゼン資料を作って発表するよう指示されました.
10分のプレゼンなんて日本語でもしたことがなかったため, 具合が分からず, 発表1週間前からはあまり寝ずに作りました.

発表時は, 日本からの留学生, 海外の留学生がともにいました.
自己紹介ということで, プレゼンの中でプログラマーになることが夢だったことを高専に入った理由として紹介しました.(プログラマーはプログラムがスーパー書ける同級生を見て, 自分はああなれないと思い早いうちに断念)
そして, 質疑応答の際に「プログラマーじゃなかったら今は何になりたいの?」と尋ねられました.

答えられませんでした.
アカデミックな夢は何もありませんでした.
この頃には漠然と音楽で生きたいなんて思っていましたが, 学びに行く決意を述べる場でそんなこと口が裂けても言えませんでした.

ここにいる人たちは将来への志を持って学びに来ているのに自分にはそれがない…

自分が「学校で学んでいる」意味が分からなくなり, 無言になってしまいました.
周りは, 前回の交流会の件もあり,「英語で伝えられない」のだと思っているらしい反応をしました.

違う. そうじゃない.

日本語でも話せないのだ

ちゃんと葛藤の理由が周りに言えず僕は寝不足だったこともあり, その場で号泣し始めてしまいました.
周りは号泣の理由を知る由がないので, とても困惑していました.

無理やり泣き納めたあと, アパートに帰り, 丸1日ベッドに伏せすすり泣きました.
そのことがしばらく英語や自分自身への嫌悪感, トラウマになりました.

今でもどちらに関してもあまりいい印象は持てていません(嫌悪感やトラウマは後に解消).

タイ留学

なんやかんやで夏休みに入り, タイに飛びました.
自分の授業のクラスに入るときは緊張していましたが, いざ飛び込むとクラスメートが気さくに会話してくれました.
おかげですぐに輪の中に入ることができ, ホッとしました.

そして, 初の英語での授業を受講しますが,

何喋っているか分からない

教授に何かを尋ねられましたが, 何を言っているか聞き取れず答えられずにいると,

Can’t you speak English?

と聞かれました. その日教授からはっきり聞き取れた数個の英語の一つがこれだったのはショックでした.

それでも, クラスメートは自分の拙い英語に付き合ってくれて, 授業内容を聞き逃したときに教えてくれたり, 放課後は校内外でよく遊びました.
そして, クラスメートのアクティブさにカルチャーショックを受けました.
クラスメート全員で昼ご飯を食べる, 放課後の教室に残る, カフェテリアに行く.
今まで全く経験のないことでしたが, ただひたすらに楽しかったです.

そして, なぜ自分はこんなに楽しまずに生きているのだろうと感じました.
高専生活が自分にとってかなりストレスだったことを自覚しました.
学校に通うことが心が喜ばない, 自分の将来に役立たないことなら退学してしまえばいいのではないかとも思いました.
結局そんな勇気はなく, 退学はしなかった訳ですが, 留学で世界の広さだったり, 異なる価値観があること, 自分の英語力でもなんとか会話できることを学ぶことができ, そして何より大切な友人ができました.
彼らになかなか連絡できていませんが, また近々連絡してみようと思います.

劣等, 孤独

一方, 夏休みということもあって, 編入鯖では活発に勉強報告や質問が飛び交っていました.
自分が手も足も出ないような問題について議論している人たちを目の当たりにし, 「彼らに比べて自分は何も出来てないな…」と鯖を見るたびに劣等感を感じ, 卑屈になってしまい, やがて鯖の通知をミュート, たまに有用情報があるかを確認する程度になりました.

よく編入体験談で“仲間を作るべき”との意見を見かけます.
その通りだとは強く思います.
実際に3年生のときは友人Yが強いモチベーションになりました.
しかし, やがて友人Yのモチベーションは客観的にも落ち, この頃には周りに同じレベルの編入を目指す学生をほとんど見かけなくなりました.
難関大を受験しようとしている数人の存在は耳にしましたが, 彼らに何を話せばいいのか分からなかったり, 話しかけることが相手の邪魔になるような気がして声をかけられませんでした.
また, 全国の学生がいるコミュニティに参加しているにも関わらず, そこで仲間をつくることはほとんど出来ませんでした.
同じ学校の学生にすら話しかけられない人間にとって, 見ず知らずの人に話しかけるなど非常にハードルが高い話です.
そんなことで, “編入"という自分の進路に関する話題を話せる人が少なくなり, 孤独を強く感じるようになっていきました.

更に, タイで楽しそうに生きている同い年の人々を見たことで将来的に「音楽をやりたい」という私的な気持ちは強まりましたが, 相変わらずアカデミックで何をやりたいのかは決まっておらず, 自分の将来の“公・私”における"私"が強まってしまった分, “公"が弱いように感じることが負い目になり, 進学先について先生方に相談することも気が引けてしまうようになりました.

そんな宙ぶらりんの状態で4年後期へと進んでいきます.


今回はここまでになります.

次回は勉強のピークとなる4年後期以降になります.

思い出したり, 次書く上で足りないことがあったら追記してくかも知れません.
何か聞きたいことがありましたら, コメント等で連絡ください.

それでは最後までお読みいただきありがとうございました.

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