2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その0

| November 1, 2023

こんにちは, iduknです.

今回から数回に分けて, 長岡技術科学大学 情報・経営システム工学分野, 大阪大学基礎工学部 電子物理科学科 物性物理科学コース, 東京大学工学部 物理工学科の自分の編入合格体験記を書こうと思います.

高専生の編入の記事は割と多くありますが, それでも「最新の情報が欲しい!!」とはなるので一助になれば幸いです.


ただし, 今回は自分のサイト運営のテストや自己紹介も兼ねて, 前日談として高専3年前期までの自分の遍歴を書いていきます.
ですので, この記事は編入に直接は関係ありませんが読んでおくことでこの後の体験記をより面白く読めると思います.

長文になりますが, 一人の高専生の半生を笑っていただければ幸いです.

シリーズの一覧です.

2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その1
2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その2
2024年度東大工学部, 阪大基礎工学部, 長岡技大編入体験記その3

小学校卒業まで

まずは, 保育所, 小学校時代について書いていきます.

保育所時代

生まれてこの方ずっと北海道にいます.
小さい頃は, ニチアサが好きでした.
かなり遠かったですが小学生以前は札幌のファイナルライブツアーに毎年行ってました.
ヒーローたちの影響で俗に言う“正しさ”みたいなものはかなり意識してました.

あと, 小学校以前の記憶で残っているのは保育所で気の強い女の子と喧嘩してボコボコにされたこと. なんでこの記憶が印象に残っているかは分かりません.

小学校時代

小学校に入学. 勉強は周りと比べて出来ていたと思います.
ただ, 当時の自分的には同級生が10人程度しかいなかったこともあり, その自覚はなく, 「ただ言われたことをこなしているだけ.」という感覚でした.
体育は太っていたこともあり, からっきしだめでした.

習い事は割と色々やらせてもらいました.
運動系はスキー, 水泳をやりましたが, 上述の通り1年でどっちも辞めちゃいました.
一方, 勉強系はそろばん, 公文英語をやっていましたが, そっちは楽しく感じ, どっちも中2までやっていました.
転校してなければ中3までやってたんじゃないでしょうか.
そろばんで身についた暗算の能力と公文で英語に触れてきた経験は編入するにあたってとても効いたと思います.

自分の親は真面目なのでちゃんと育てようとしてくれたのでしょう.
その日の家庭学習を終わらせないとDSをやらせてくれなかったり, 友だちと遊ばせてくれませんでした.
ですが, 自分は勉強がほんとにめんどくさいと思っていたし, ギリギリになるまでやる気が出ない性格のでほとんどDSは出来ず, 友だちと遊ぶこともせず, ただただテレビを見て, 知育ブロックで遊んでいました. 高専生の素質ありですね.

小学校時代一番の楽しみは, ガンダムトライエイジで遊ぶことでした.
当時父親がハマっており釣られる形で始めましたが, ほぼ毎週ゲームセンターに通うくらいにはかなりのめり込みました.
ほとんどのカードやミッションの情報は把握しており, 親と作戦を練る時間は楽しかったです.
この頃から, やっぱり数値計算だったり情報分析は好きだったんだと思います.

あとは, クイズ番組が好きでした.
よく見ており, 自分が解ける問題をタレントの方が解けなかったことを不思議に思っていたり, 東大の人は頭がいいみたいな印象を植え付けられました.

そんな自分の転機となったのは(ヤラセで打ち切りとなった)ほこ×たてという番組でした.
調べてみると小学4年のときだったらしいのですが「最強のオセロ」なるプログラミングが紹介されており, それを見たidukn少年は「おもしろ! かっこいい!」と思い, 以後将来の夢をプログラマーになることに定めました.

中学校卒業まで

転校は自分にとって転機だったので, 転校前後に分けます.

転校前

自分は町内でも田舎に住んでいたので, 中学校にはバスで通っていました.
そこは町内の中学生全員が集まる学校で同級生が何倍にも増えました.
小学校の同級生はみんな真面目で純粋だったので, 中学に入ってやんちゃな学生がいたり, 下世話な内容が繰り広げられているのが“正しさ”を信じていた自分にとってとてもカルチャーショックでした.

志望校は中1の頃から釧路高専でした.
理由は2つありました.
まず, 夢がプログラマーで固まっていたので, 早いうちからその技術を学びたく, 道内4高専で情報を特化で扱っていたのが釧路だったからです.
それと, もう一つは同じ部活の同級生も釧路高専を志望しており, 高専でも一緒にプレイしたかったからです.

自分は卓球部に所属しました.
自分は親に従順なので(自虐), 「部活に入ってほしい」と言われ, ある程度いやいや部活に入りました.
「文化部はセンスないから論外, 太っていて, 運動神経のない自分にできるスポーツは卓球くらいかな」と消去法で選びました.
今の自分からするとあそこはかなり厳しい部活だったと思います.
先生がかなり熱心で土日はほとんど8:00~17:00まで部活がありました.
家が遠いことや弁当は自分で作るルールだったので実際には6:00~18:00くらいは部活に割いてましたね.
最初はそんなモチベーションがなかったのに, 卓球漬けの毎日でやればやるほど「もっとやらねば」と思い, 平日の夜も少年団の練習に行きました.
なので, 平日のスケジュールも
~18:00 部活
18:00~19:30 そろばんor公文
19:30~21:00 少年団
みたいな感じでした.
合間で移動や食事を取るために遠くから送迎をしてくれて, こんなスケジュールを可能にしてくれた親には感謝しています.
後に親からは「iduknはすぐ辞めると思ってた」と言われました.
そんな毎日を続けられたのは同じ部活の仲間がいたからだと思います.

しかし, そんな生活が限界を迎えつつあったのか, 中2の秋, 冬頃に自分は下劣な問題行動を起こすようになってきました.
今考えれば本当にあんなことすべきでなかったと思います.
学力は上位を保っていたのですが, その影響で学校推薦は難しいと先生に言われるようになりました.
“正しさ”を重んじていた自分がひどいことをしてしまったこと. 推薦がもらえないこと. 部活も大会に参加させてもらえなくなり, 雑用をさせられることが多くなったこと.

そんな失意に染まっていたタイミングで, 親の仕事で転校することが決まりました.

転校後

初めは緊張してクラスメートからすればすごく変な奴だったと思います.
でも, 一人の友人が声をかけてくれてその子をきっかけにクラスには馴染むことができました.
成人式はこっちの方に行こうと思っています.

転校先にも卓球部はあったのですが, その熱意の違いに最初はその部を批判してしまいました. カルチャーショックでした.
自分が正しいと思っていたというのが今ではとても申し訳ないと思います.
でも, きっかけは忘れましたが馴染むことは出来ていたと思います.

前の学校とは違うのびのびとした校風で過ちを犯した自分の張り詰めた気持ちが良くも悪くも緩んでいきました.
人格者にならずとも自分の素をさらけ出しても大丈夫なんだななんて思ったりもしました.

運動会の後, クラスで打ち上げがありました.
クラスで学校外で何かをやるという経験はなかったのでとても楽しく刺激的な思い出でした.
そこでのカラオケで同級生が歌っていたうちの1曲が当時世間で流行っていた米津玄師さんの “Lemon”でした.
これが後に自分にとって音楽との出会いのきっかけになります.
そのときは「流行ってるんだな〜」ぐらいの印象でしたが.

中3の秋にクラスメートに恋して告白をしました.
それ以前の自分は気になる人はいたものの「結婚しない恋愛に意味なんてない」と言って, 告白まではしませんでした. 部活も忙しかったですし.
そんな初めての告白の結果,
振られました.
病みました.

どん底な気分でふと何気なく米津玄師さんのことを思い出しました.
米津さんの曲をYouTubeであさりました. ネットに自由にアクセスできる機器はプレステvitaしかなかったのでvitaで曲を聞きました.
「ピースサインとかLOSERとかめっちゃ聞いたことある曲作ってるやんこの人」とか思っている中, “春雷”に出会いました.

傷心中の自分に激しく刺さり, より米津さんのことを調べるようになってやがて自分も音楽を作りたいと思うようになりました.
そして, この頃米津さんがLIVEツアーをやっており, 札幌でも公演があったのですが, 日程が高専の一般入試前日ということもあり断念しました.

その後, 釧路高専の推薦入試で合格し(LIVE行けたじゃん…), 中学を卒業しました. (問題行動のことは恐らく伝わってなかったんだと思います. このことをラッキーと思ってはいけないなと今でも思っています.)

高専1年

転校前の卓球部の中学の同級生と同じクラスになり, 希望を持って高専に入学しました.
中学のときの高専のイメージがまじで頭いい人たちが行く場所という感じだったので,「勉強においていかれないよう頑張ろ」と意気込んでいました.
数学と理科のお迎えテストがあり, そこで自分がクラス1位であることを知りました.
ん?
たまたまやろ.
とか思ってましたが, 結局1年間ずっと学年1位で自分の高専に対するイメージとのズレに直面しました.
後に我が校は定員割れのBFと自虐されていることを知る訳ですが, 腐っても高専なので自分は我が校に誇りをもっているし, 伸びしろがあると思っています.

課外活動は2つ所属しました.
1つは卓球部.
中学の同級生もいましたが, ほんとうに仲間に恵まれました.
楽しかったです.
高専大会は北海道地区ですらボコボコにされましたが, 新人戦は全道大会出てかなり充実してました.
(これが部活のピークなのです…)

もう1つは数学研究会(数研)です.
我が校には特進数学(特数)という数学を授業よりも学びたい人が成績の条件を満たせば任意で入れる単位外の制度があります. 内容は優しめのゼミです.
それを担当されている先生が数学研究会の顧問でもあり, ほぼ同じようなノリでこの同好会は活動しています.
初めは自分が高専に入った理由は卓球だったし, 最初の印象から「数学研究会は天才の集まりだろ」というイメージを持っていたので, 案内されたときは見学すらしませんでした.
ですが, 数学の単元テストでクラスメートが自分の解けなかった問題を解いており, 解けた理由を尋ねると特数でやったからと返ってきました.
「テストの点上がるなら行ってみるか〜」と参加しました.
すると, 他のクラスメートもすでに参加しており, 彼らと打ち解け, 特数の雰囲気も良かったので入会することにしました. この入会がなければ自分の進路は恐らく大きく変わっていました.

特数では前期に高校1年生向けのz会, 後期からは線形代数のゼミを行っていました.
そして, 数研では “バトル”と称される, 大学入試や編入試験の問題を30分で解き, その点数を学年に関わらず競うものがあります.
毎週行われるバトルの点数を取るために解けなかった問題の復習は割とやっていました.

問題がそういう問題だったり, ゼミの内容がそういう内容だったので, 低学年のうちから入試に触れていたことは編入試験を受けるにあたってかなりアドバンテージだったと思います.
また, このバトルには当時5年の先輩も参加しており, その先輩が東大工学部物理工学科に合格していました.
自分が高専入学を決めた際, 親から「大学は出てほしい」と言われていたので当時の自分は適当な大学に進学しようと考えていました.
ですがこの先輩に出会ったことで, 「高専からでも東大にいける」ことを知りました.(進学先を東大に決めたのはもっと後)

米津さんの音楽はずっと聞いており, 冬頃から自分でスマホで曲を作り始めました.
米津さんのLIVEが再び4月にあり, 今度は当選して行くことを楽しみにしていました.

高専2年

情報工学分野に配属されました.
しかし, この2020年という年は新型コロナのくそったれのせいでまじでくそったれでした.
米津さんのLIVEは中止.
春休みがかなり長引き, リモート授業が始まったのは6月頃だったような気がします.
もちろん高体連や高専大会はなし.
授業開始が遅れた影響で夏休みは1週間しかなく, それも学校, 特数の課題で潰れました.
新人戦も全道出場資格を得たにも関わらず, コロナで日程がずれ試験日と被り, 出場できませんでした.
分野1位はとっていましたが, いい思い出が本当にありません.
ただ, 微分ができるようになり, バトルで先輩に勝てるようになり始めた年ではありました.

リモート授業に自分のPCが欲しくなり, 友人の協力を得て自作PCを作りました.
そのPCを使ってDTMを始めました.
全く思うような曲が作れず音楽作る人って本当にすごいなあと感心していました.

高専3年前期

コロナの影響がまだ続いていました.
最後の高体連は出れる見込みがあったのですが, 校内でコロナが流行し大会2日前に学校閉鎖.
坊主にしたにも関わらず最後の大会は出られませんでした.
北海道の高専大会も日程が近づく度に延期になりました(結局実施しなかったと思う).
この頃には仲の良かったメンバーや中学の同級生も退部, ドロップアウト(!?)等しており, 「大会も出られず部活入って何の意味があるんだ…」と思ったことや, そろそろ編入に向けて動き出した方がいいかと思い卓球部を退部しました.
しかし, コロナの影響が薄くなるに従って, 色濃くなる3年後期へ突入していきます.


今回はここまでになります.

次回からは本格的に編入体験記になる予定です.

なんかあったら追記してくかも知れません.
何かありましたら, コメント等で連絡ください.

最後までお読みいただきありがとうございました.

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